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東京地方裁判所 平成2年(ワ)11243号 判決 1992年1月27日

原告 甲野太郎

被告 乙山春夫

被告 株式会社東京スポーツ新聞社

右代表者代表取締役 太刀川恒夫

被告両名訴訟代理人弁護士 中村尚彦

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金五〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告らは、原告に対し、各自金六〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、殺人罪で起訴された原告が、被告株式会社東京スポーツ新聞社(以下「被告東京スポーツ」という。)発行の日刊紙「東京スポーツ」紙上に掲載された記事及び同記事中の被告乙山春夫(以下「被告乙山」という。)の発言により、名誉を毀損され、少なくとも金一五〇〇万円の損害を被ったと主張して、被告らに対し、その一部金六〇〇万円の損害賠償を請求したものである。

一  争いのない事実等

1  原告は、昭和六三年一一月一〇日、保険金目当てに妻を殺害したとして殺人罪で起訴されたが(争いがない)、無罪を主張して争っているものである。

2  被告乙山は、丙川大学法学部の刑法学の教授であるが、被告東京スポーツの取材に対して、原告の右刑事被告事件に関し、別紙の記事(以下「本件記事」という。)中の被告乙山発言部分(同記事中の「 」で囲まれている部分。以下、「本件発言」という。)のとおりの発言をした(争いがない)。

被告乙山は、右取材に際し、自己の発言が記事として掲載されることを知りながら、本件発言をしたものであり、また、本件記事の内容には、被告乙山の発言をまげて報道しているところはない。

3  被告東京スポーツは、被告乙山からの右取材結果に基づき、本件記事を、昭和六三年一一月一二日付け東京スポーツ紙上に、被告乙山の発言を引用して本件記事を掲載した(争いがない)。

二  争点

1  本件発言及び本件記事(以下「本件記事等」という。)は、いわゆる甲野裁判の帰趨についての予想をしたものであるに止まらず、原告が殺人を犯した犯人であり死刑になると断定したものであり、原告の名誉を毀損するものであるか否か。

2  仮に、本件記事等が、原告は犯人であり死刑になると断定するものであるとしても、原告が死刑に値する行為をなしたと被告らにおいて信ずるについて相当な理由があったか否か。

3  本件記事等は、公正な論評として違法性を阻却するか否か。

4  損害の額

第三争点に対する判断

一  名誉棄損の成否(争点1)について

1  まず、被告乙山の本件発言について検討するに、右発言が原告の名誉を毀損するものであるか否かは、一般読者の普通の注意と読み方を基準として、本件記事に引用された発言全体を観察したうえで判断すべきである。そして、本件発言は、原告の刑事被告事件に関し、原告が殺人を犯した犯人であることを当然の前提として、原告が有罪であり死刑となる旨を述べているものであるから、全体として、これを読む一般の読者に、原告が死刑に値する犯行を行ったとの印象を抱かせるものであると認められる。

2  これに対し、被告らは、被告乙山の本件発言は、既に報道しつくされていた事実を基にして、そのような事実が仮に真実であるとしたならば裁判の結果がどうなるかを、刑事専門家の立場から予想したものに過ぎず、原告が有罪であるとか死刑であるとか決めつけたものではないと主張している。

確かに、本件記事には、「乙山丙大教授がロス疑惑の今後を予想」とのタイトルが付されており、「今後は舞台を法廷に移しての新たな攻防戦が繰り広げられることになるが、果たして裁判ではどんな展開になるのか。」との記載に続けて、被告乙山が「有罪判決がでるでしょう」と指摘したと記載されているなど、本件発言中には、裁判の結果を単に予想しているに過ぎないとの印象を与える部分も存在する。また、検察官の起訴について、「一部では“見切り発車。メンツでは”の声も上がっているが」との記載に続けて、被告乙山が、「日本の検察はとりわけシビアです。慎重に慎重を重ねたうえで起訴します。……有罪率は99・998%といわれ、無罪になることはめったにない」と述べている部分があり、刑事事件の有罪率等についての刑事法専門家としての一般的な意見を述べているに過ぎない部分もみられる。

しかしながら、被告乙山の本件発言の中には、起訴されたばかりの段階にあり、しかも原告が犯行を否認し争っている刑事被告事件の犯罪事実に関して、『仮に報道された事実が真実であるならば』という限定を付したうえで、裁判の今後の帰趨なり量刑の予想をしていると窺わせる部分は見当たらないばかりか、かえって、「かなりモメるでしょうが、間接事実の積み重ねで検察側は公判維持を十分できます」、「今まで報道されているものだけでも十分有罪に持ち込めるはずですよ」とした上で、具体的状況証拠として、「銃撃の瞬間は見ていなくても事件現場の目撃者はいますし、大久保のポリグラフによる『クロ』反応、写真や(犯行車の白いバンの)契約書などありますからね」と論及し、更に、それに続けて、「犯行を否認して、凶器が出てこなければ助かるという判例があってはならないという意味が含まれているんですよ。今回はすでに状況証拠で固まっています」としているのであって、当該事件にかかる各状況証拠についても被告乙山において専門家の見地から検討した上で既に状況証拠により原告が有罪であることが固まっている旨を述べていると受けとめられる発言がある。そして、それに続けて、「今回の事件は地裁で有罪になり、高裁へと進んで、結局、最高裁まで争われるでしょうが、上告棄却にたどり着くには21世紀までかかるでしょう」とし、その時の判決は「甲野には極めて重く死刑。」と断定しているのであって、これらを合わせ考えると、本件発言は、これを読む一般の読者に対して、『原告が犯人であるかどうかはともかく、仮に一定の事実が裁判において認められた場合に』、その量刑を含め裁判の結末がどうなるかについて、専門家としての単なる予想ないし意見を述べたというに止まらず、原告が殺人を犯した犯人であることを当然の前提としたうえで、裁判においても、原告が有罪判決を免れることはなく、死刑判決を受けることは動かないものと断定している旨の印象を強く与えるといわざるをえない。

したがって、被告乙山の本件発言が裁判の帰趨についての単なる予想意見であるとする被告らの主張は採用することができない。

3  右のとおり、被告乙山の本件発言は、一般の読者に対して、原告が死刑に値する犯行を行ったとの印象を抱かせるものであるところ、被告東京スポーツの掲載した本件記事は、被告乙山の右発言をその基本的骨格としたうえで、「甲野は死刑」との大見出しを掲げているものであるから、記事全体として、原告が死刑に値する犯行を行ったとの印象を、より強く読者に与えるものと認められる。

4  以上によれば、本件記事等は、ともに、原告が死刑に値する犯行を行ったとの事実を摘示し、もって、原告の社会的評価を低下せしめ、その名誉を毀損しているものであるといわざるをえない。

二  真実と信じた相当の理由(争点2)について

被告らは、原告が死刑に値する犯行を行ったと信じるに足りる相当な理由があると主張し、その根拠として、①原告が妻に対する殺人未遂被告事件(本件で問題となっている刑事事件とは別事件。)で第一審の有罪判決を受けていること、②検察官が有罪立証に確信を持てたとして、原告を殺人罪で起訴したこと、③各種報道機関により報道された事実中には、原告が妻の殺害に関与していることを裏付ける多数の事実が存在することを挙げている。

しかし、①や②は、それのみをもって、原告が殺人を犯したと信じるには不十分であるし、③については、各事実はすべて第三者である報道機関が報道したというに過ぎず、それぞれが信じるに足りるものであるかは必ずしも明らかではない。そのような報道が複数存在するからといって、直ちに、信じるに足りる相当な理由があったとはいえず、少なくとも、報道事実の真否について自ら確認するなどの行動を取って、それらの信憑性について検討した上で、なお真実であると考えるのが相当であったと言える事情が存在する場合に、初めて違法性が阻却されるものと考える。そして、被告らが右各報道の裏付けを取った事実がないことは、弁論の全趣旨からも明らかである。

したがって、そもそも、被告らにおいて、原告が殺人を犯したと信じるに足りる相当な理由があったとは認められず、この点に関する被告らの主張は失当である。

三  公正な論評としての違法性阻却(争点3)について

犯罪に関する事実は、公共の利害に関する事項又は一般大衆の関心事に該当し、これについては、何人も論評の自由を有し、論評が公正である限り、論評者は、論評によって他人の名誉を毀損する結果を生じても、違法性を阻却され、不法行為の責任を免れるが、ここに論評が公正であり違法性が阻却されるというためには、論評がその前提としている事実の主要な部分について真実であるか、又は真実であると信じるについて相当な理由のあることが必要であると解される。

これを本件についてみると、本件記事等は、原告が殺人を犯した犯人であることを当然の前提としているところ、前記のとおり、被告らにおいて、原告が殺人を犯したと信じるに足りる相当な理由があったとは認められないのであるから、本件記事等が公正な論評としてその違法性を阻却される余地はないことになる。

四  損害の額(争点4)について

原告は、被告らの不法行為により、社会信用を失墜され精神的苦痛を受け、少なくとも金一五〇〇万円を下らない損害を被ったと主張している。

ところで、原告が、別件の殺人未遂被告事件について第一審の有罪判決を受けたこと(弁論の全趣旨により認められる。)に加え、更に本件に関して殺人罪で起訴されたという事情が存在することからすると、そのような事情の下では、原告の社会的信用・評価は、通常の一般市民と比較して一定程度低下していたと考えざるを得ないこと、本件記事等の内容が右に検討したとおりのものであること等を考慮すると、原告が被った精神的苦痛等を補填するための金額としては、金五〇万円が必要かつ十分であると解される。そして、被告らは、本件記事等により、共同して原告に右損害を与えたものであるから、右金額を連帯して賠償する義務を負うことになる。

第四結論

以上によれば、本件請求は、原告が、被告らに対して、各自金五〇万円及びこれに対する昭和六三年一一月一二日(不法行為の日)から右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限りで理由があることになるので、主文のとおり判決する(なお、仮執行宣言については、相当でないからこれを付さないこととする。)。

(裁判長裁判官 佐藤久夫 裁判官 山口博 花村良一)

<以下省略>

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